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レイディ・メイディ 67-4
2008.10.15 |Category …レイメイ 67・68話
そうでなくとも迂闊にも兄を味方であると信じて痛いしっぺ返しを食らったばかりである。
慎重になっても無理もなかった。
現在、彼は立ち上がるのに窮している最中である。
これまでなら人に裏切られ傷ついても「故郷の家族に本当は愛されているのだ」、「実は家族は鎮がいなくなって寂しがってくれているんだ」、「帰ってくればいいのにと思ってくれているに違いない」と都合のよい、そして悲しい思い込みに没頭することで自らを慰めてこれたけれど、その拠り所も失くした今、どうやって自分を立ち直らせるか途方にくれているところなのだ。
リクが不名誉な補導を受けた翌日だって、思わず暖炉の灰をかき集めてしまった。
リクの手前、捨ててしまった千羽鶴が恋しくなったのだ。
自分で殺したくせに都合のよいときだけ、兄の思い出にすがろうとする。
そんな自分にすぐに気がついて、その灰も始末した。
今、一心不乱に絵を描いているのも、ケジメをつけようとあがく一つの方法だった。
絵は想いを込める。
父を描き、母を描き、兄を描き、故郷を描き……これまでの想いを詰め込んで、捨てるのだ。
そしてこれを最後にもう二度と浸るのはよそう。
思い出すのはやめようと言い聞かせるのだ。
▽つづきはこちら
愛されているのは、幻想。
父も母も寂しがってなんかいない。
帰ってこいだなんて誰も思っていない。
現実と向き合うのだ。
でも。
ふいに筆が止まる。
現実と向き合うと何も持たないことになってしまう。
そうしたら、どうやって明日を生きればいいのだろう。
何のために……?
夢見ることをやめたら、次はどうすれば?
希望なんてないのに。
ほんの少しの距離を行くと死がすぐそこで手招きしているだけなのに。
道は続いていない。
先に続くべき未来という道はない。
周りを見渡せば沢山の誰かの道は遠く先が見えないほど続いているのに、鎮の道は深淵へと続く落とし穴がぽっかりと口を開けて待っている。
寿命を終えようとする老人と同じように。
ふいに鎮は筆を取り落とした。
考えてはならない明日にたどり着いて、絶望したのだ。
拾おうとして震える手を伸ばし、そのまま椅子から転げて床に這いつくばる。
どうしようもなく孤独だった。
音のない部屋で1週間。
もつだろうか。
こんな状態で誰かの優しさを受けたらアウトだと思った。
きっと差し出された手に相手の予想以上に強くすがってしまい、曖昧に困った顔をされて、適当にあしらわれるのだ。
ああ、考えただけでぞっとする。
鎮「ヒ……ヒヒッ……ははっ」
視界が海の底に沈んでぼやけた。
ポタポタと床を雫が濡らす。
雨が、雨が降ってきたのか。
室内なのに。
そうではない。頬を伝って落ちるこれは涙だ。
泣いていた。
子供のように。
鎮「あははっ」
出所のわからない笑いが押し上げられる。
これは軽蔑か絶望か。
鎮「あははははははっ! あーっははははははは!!」
ふと笑いが引っ込むと今度はどす黒い何かが内側から膨れ上がってきた。
その正体の名は恐怖。言い知れぬ恐怖。
鎮「…………誰かっ! 誰か来てぇ!!! 今すぐッ!!」
髪を掻き毟って、力任せに引く。
床に黒い糸が無数に散らばった。
顔を引っかいて血がほとばしり、痛みで目を覚ます。
目覚めていながら、意識がどこかへ飛んでいた。
冷静さを引き寄せて、息をつく。
鎮「……………………」
床にも血痕。
手を広げてみれば、爪が剥がれていた。
独りは嫌だ、独りは怖いと今もワガママを言っては困らせる鎮を体裁を守って強くありたい、失態を見せたくない鎮が叱り付ける。
そうして時々おかしくなってはまたふとした瞬間に元に戻るのだ。
戻った後はいやに頭の中はすっきりと静かで彼はまた筆を執り、黙って黙々と絵を描き続ける。
キャンバスに向かいながら、彼は皮肉めいたことを考える。
性格の悪い、嫌なことを考える。
例えばリクにあるいはクロエに助けるつもりがあるのなら、自分だけを愛してクダサイとお願いしてみてはどうだろうかという意地の悪いことだ。
きっと彼らは困り果てた顔をして曖昧に笑うのだろう。
「すみませんが、それはできません」と。
「他に条件はありませんか。他のことならばしてあげられるかもしれませんけどね」とフォローを入れてくれるかもしれない。
いずれにせよそうしたら、もう懐いてこなくなるだろう。
遠巻きにして目さえも合わせなくなるだろう。
それで鎮は楽になれるけれど、彼らはもっと傷つくことが容易に想像できる。
断わった相手がすぐに死んでしまうのなら尚更だ。
心の優しい彼らのこと。
なんて可哀想なことをしてしまったのだとずっとずっと悔やみ続けてしまうに違いない。
そんなのは困る。
傷つけられた振りをして死ぬのは卑怯だ。
相手のせいにするのは、見当違いで身ぐるしい。
気にして下さいと言わんばかりだ。
本音は気にして欲しいけど、それはカッコ悪い。カッコ悪いのも嫌いだ。
鎮「リクには悪いことをしたな。謝っておこうかな。きっと気にしてるよ、鎮」
彼は独り言を言った。
優しい声で穏やかな顔で。誰かに話しかけるように。
鎮がふくれていると彼らはいつまでも気に病んでしまう。
今回のことだって、鎮がいつまでも鬱々と悲しみをに浸るのを愉しんでいるから彼らを右往左往させたのだ。
結果的に優しい気持ちで差し伸べられた手を振りほどくどころかこっぴどく叩き落してしまった。
せっかくの好意を断わられて、さぞや悲しんだことだろう。
それはあまりに可哀想だ。
こちらの身勝手な都合だったのに。
彼らを安心させるには、もう過去にはフタをして決別しなければ。
そうして彼らの慈悲に満ちた手を少しだけでもいいから、取ればいい。
これで安心してくれるに違いない。
全部と望むからおかしなことになるのだ。
せっかくくれるのだ。無下に断わらないで、少しだけもらえばいいじゃないか。
相手もそのつもりなのだ。
全面的に引き受けるつもりはなくて、ちょっと哀れんでくれているだけなのだから。
こちらもそれに合わせて過剰に期待しないように気をつければいい。
例えば己が犬や猫だったとしたらば。
餌をもらっても家までついていかない。
入る直前でぴしゃりと扉を閉められてしまうのだから。
ついていかずにその場でしっぽを振って待っていれば、迷惑顔をされずに次もお利口さんだと餌をもらえるのだ。
これが互いのためには一番の良策ではないか。
鎮「なんだ。万事解決じゃん。賢いなぁ、シズは」
目を見開いて薄く口元を歪める彼はおかしな笑顔を浮かべて、おかしな絵を描いた。
途中までは温かい家族の絵だったそれは、青黒い色調の3人の首吊り死体に変っていた。
心の中で彼は大切な者たちを殺して絵に埋め込んだ。
少し考えて離れた位置にもう一人付け加える。
父と母と兄と。……遠慮がちに、もう一人。
鎮「……最後だもの。このくらいはいいよな」
幸せにならなくては。
何か幸せになれることを、小さくてもいい。拾い集めなければ。
それがなかったとしてもせめて幸せだったフリを貫かなければ。
リクとクロエが安心してくれるくらいには。
手には何も持っていなくても持っているように見せかけられればそれでいいのだ。
ちゃんと上手な嘘で塗り固められるだろうか、見抜かれやしないか。
それだけが少し気がかりだけれど。
ときには本音も見せてもいい。根のところまでさらして恥をかくつもりはないが。
ともかく、それをさておいても、リクには謝っておく必要がある。
触れられたくなかったであろう部分を叩いてごめんねと。
おかしな方法で彼は強引に前向きの方向転換を図った。
これが今時点での手を差し伸べてくれた二人を想う精一杯の結論と決断である。
酷く屈折してはいるが。
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