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レイディ・メイディ 40-3
2008.05.11 |Category …レイメイ 39-41話
ジャック「……ああ、そうそう。私にもしもがあった時には、私の弟に家督を継がせるとよろしいでしょう」
母「!!!」
思いもしなかった息子の言葉に母親が凍りついた。
“私の弟”。
一人息子のハズのジャック。
今から12年前にダンラックの秘書官を務めていた家主は疑いをかけられて処刑。
その後、ジャックは薔薇の騎士を目指して養成所へ。
残されたウイングソード夫人は、とうとう愛情の持つことができなかった夫と子供から解放され、残った遺産を使って男漁りに夢中になっていたのである。
その間の過ちから一人の男児を出産。
過ちとはいえ、好いた男との間の子。
政略結婚でできた息子のジャックに比べれば、どれだけ可愛いかしれない。
子供は実家に預かってもらっていたが、長男さえいなくなってくれれば………………常にその考えが付きまとっていた。
しかしこう面と向かって隠していたものが露呈されるとさすがの夫人も青ざめるしかない。
母「どうして……いつそれを……?」
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ジャック「それはまぁ、よろしいではありませんか」
軽く流した息子が夫人には恐ろしく感じられた。
しまった!! きっと出産を手伝わせた使用人の女が漏らしたに違いない。
彼らはこの男に絶対の忠誠を誓う犬なのだ。
息子が自分にどう詰め寄るつもりなのだろうと身構える。
ジャック「私はまだ結婚もしていないし、もちろん子供もいません。それで私にもしもがあれば、家は困ります。……他に跡継ぎになる者がいて良かった」
母「ごめんなさい、ジャック……!! 私は……」
後ずさり、顔を両手で覆う。
ジャック「お待ち下さい。面をあげて下さい、母上。私は貴女を責めているのではないのです。母上は早くに夫を亡くした身。お寂しいことも心細いこともございましたでしょう。私も薔薇の騎士になるために養成所。側についててあげることができなかった。その間にどのようなことがあれ、誰が責められましょうか。……さ、母上」
年老いて細くなった母の肩にそっと手を置く。
ジャック「書類は私の机に。……これは鍵です」
机の鍵を手の中に落として握らせる。
ジャック「ですが。もちろん、私は生きて帰るつもりでいますよ。お国のため、私が任務につけるよう取り計らって下さったヴァルト様に報いるため、我がウイングソード家の栄誉のため、父の汚名を雪ぐべく、見事成功させます、必ず。そのときは私と母上と弟、三人で暮らしましょう。私も弟と会うのは楽しみで仕方がありません」
母「…………………………」
手の中の鍵を見つめる。
ジャック「母上、一ついいですか? 弟の名は何と? 名までは知らないので」
母「……ジ……ジークフリード……」
おずおずと答える母に、
ジャック「ジーク。……良い、お名前です」
微笑みを送ると、一礼して部屋を後にする。
出立は明後日だが、これから騎士団で集まって最終会議を開いたりと忙しく、彼が家にいられるのは今だけだ。
その後は戻らずに作戦開始である。
ウイングソード夫人は息子が出て行った後で、彼の机の鍵を開く。
そこには家督を譲るための書類、そして夫人が黙ってこしらえてしまった借金の返済書類がきちんと収められていた。
母「…………返してある…………」
気づけば息子の部屋にはほとんど物がなかった。
母親のために売り払ったに違いない。
貴族でありながら、平民のような暮らしに落ちぶれて、それでも建前はきらびやかに装うとした母のために。
このきっかけに、そういえばと思い出した。
これだけは何があっても手放せないと肌身離さず大事にしていた父の形見の懐中時計。
あれはどこにいったのか。
ぱちんぱちんと蓋を無意味に開いたり閉じたりするクセをしばらく見ていない。
何も持たない手だけがあのクセを真似て空しく動き、どこか不自然に感じていたけれど。
母「…………………………」
あの時計も、きっと。
母の作った借金のために手放したのだ。
書類が手から落ちて、何もなくなった殺風景な部屋に舞う。
夫人は膝を折り、うずくまった。
母「……おおっ!! 私は懴悔します、女神ローゼリッタ!! 貴女がまことの愛の女神でおわすなら!! 愚かな女の願いを聞き入れたまえ!!! 私は今わかりました、私はこんなにも息子を愛しています!! どうか、どうかあの子が再び私の元へ戻りますように!!」
夫が処刑された時も平然として見えていた少年ジャック。
涙ひとつ見せる事なく、母上には私がついていますと気丈にふるまった子供を可愛げがないと思
った。
呆然として何もできなかった母をよそに、年端もゆかない少年は主亡き後の処理を淡々とこなして疑惑には正論で立ち向かう。
家が傾いているというのに使用人の解雇はしないと言い張る。
家族同然とする彼らを路頭に迷わせるくらいなら、貴族の体面を保てなくても良いときれいごとばかり。
どこに主が食も着る物も我慢して、使用人に施しをする貴族がいるものか。
使用人は使用人であって、決して家族と同列に並べるものではない。
彼らが職を失って路頭に迷ったとしてそれが何だというのだ。
我々、貴族が下々のことに気を配る必要が一体どこにあるというのか。
なぜこの私が新しいドレスの1枚も新調させてもらえないのか。
息子に決定権があるせいで!!
お陰で流行の過ぎた同じようなドレスをいつも着ていなければならず、どれだけ恥ずかしい思いをしたことか。
息子はこれに対して苦労をかけると謝罪はしても方針を覆そうとはしない。
一体、母親を何だと思っているのだ、あの冷静を通り越して冷徹なまでの子供は。
あんなのは子供ではない、子供のする目ではない。
よその子よりもやや鈍くさくて出来が悪いくせに世間に対してはご立派ときている。
……我が子ながら、どうしても可愛いと愛しいと思えなかった。
家族を不幸に巻き込んで勝手に死んだ夫に似ていれば似ているほど、憎らしくて仕方がなかった。
これからこの子と二人だなんてぞっとしない思いだ。
やっていけないと、本気で思った。
けれど思い返してみれば、彼はいつだって誰か人のためにと動くのだ。
平然として見えていたのも、もちろん母を支えるためだ。
そんなことはわかりきっていたはずなのに。
本当に、家督を譲るために書かれた書類。
そして借金返済済みの書類に目を留める。
こんな下らない金のために、どんなにか手放したくなかったであろう父との最後の絆まで、自分は取り上げてしまったのだ。
初めて我が子のためにウイングソード夫人は涙した。
母「ああ、お許しを!! お許しを、母親であることを放棄した私をお許し下さい、ローゼリッタ!!」
夫人の取り乱しように、使用人が驚いてやってくる。
使用人たち「奥様!! 奥様!! お気を確かに!!」
「大丈夫ですとも、ジャック様はお戻りになられます」
母「いいえ、無理だわ!! あの人のように、もう戻っては来ない!! 私が、私が神に背く行いをしたばかりにっ!! 罰が下るのよ!! 私のせいであの子は帰ってこないぃ!!!」
狂わんばかりに髪をかきむしる。
使用人「誰か!! 薬を!!」
その日、ウイングソード邸は通夜のごとくに沈んでいたと、ジャックの代わりに代理小隊長となったガーネットが後に語る。