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ゼロのノート

ト書きでカンタン☆ 気楽に気軽に創作物語。

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レイディ・メイディ 70-6

 謁見の間から逃げ出したクロエは、城の構造もわからないまま走っていた。
 とにかくその場から逃げ出したい一心で。
 どこを目指していたわけでもない。
 ただ落ち着いて考える場所を無意識に探していたかもしれなかった。
 建物から出て中庭を横切る。
事情を知らずにクロエを見かけた兵士に声をかけられ、あわてて離れの小さな塔の裏に逃れた。
幸いなことに兵士はそれほど気にしていなかったようで、後を追ってくる気配はない。
 
クロエ「ふう」
 
 石造りの冷やりとした塔の壁に背をつけて息をつく。
 
クロエ「私が……姫」
 
 ローゼリッタの。
 なんて非現実的な。
 深く胸の奥から空気を吐き出して、ずるずると座り込む。
 嘘で塗り固められた人生を今まで生きてきた、ということなのだろうか。
 楽しかった兄と父との三人暮らし。
 亡き母を慕う資格は自分にはなかったとでも?
 抱えた膝の上を涙が濡らしてゆく。
 父は当然知っていたとして、兄は。
 ガーネットはどうだっただろう?
 知っていて、妹ではないけれど妹のように扱ってくれていたのか。
 知らなかったのは自分だけ。
 
クロエ「教えてくれても良かったのに」
 
 最初から真実を。
 そうでなければ一生黙っていてくれれば良かったのに。
 泣いて赤くなった鼻をすすると、ふい玩具のような扉が目に付いた。
 
クロエ「……?」
 

▽つづきはこちら

 
この小さな塔に入るための扉だ。
場違いな興味が向いた。
手をかけて押してみるとあっけないほど簡単に開く。
まるで彼女が訪れるのを待っていたかのように。
歓迎されるように。
 
 
お嬢さん。
独りで泣くなら、ここへおいで?
私が隠してあげよう、その涙。
誰も寄り付かない、忘れられたこの塔ならナイショの話も気兼ねなく。
 
 
そっと覗いてみると暗く狭い塔の中は上の階に続く螺旋状の階段が1本続いているだけだ。
 その階段というのも人一人がやっとの幅しかない。
 
クロエ「ただの物見塔みたいだけど……」
 
 まさに物見以外に役立たない構造である。
 物見というのなら、城壁塔で間に合っているためにすっかり忘れ去られ、訪れる人間がいなくなった無駄な建築物。
 設計ミスとしか思えない可哀想な塔だった。
 勝手に城内のものに上がりこむというのも気が引けたが、興味が良識を上回った。
 小人が出入りするために作られたような小さな扉を身をかがめてくぐる。
 人がいるようには思えなかったが、もしもいたら、ごめんなさいをしてしまえばいいだろう。
 続く螺旋階段を踏みしめて最上階を目指す。
 その間にも思考は先ほど告げられた受け入れがたい真実へと戻ってゆく。
 だがたどり着く答えもなく、ただくるくると同じところを巡るだけだ。
 数分も立たないうちに頂上へついた。
 人の気配など感じなかったのに、開けた小部屋に到着すると糸をつむぐ老婆と幼い女の子がいたものだから、クロエは驚いて危うく悲鳴を上げてしまいそうになった。
 
クロエ「すっ、すみませんっ! 人がいると思わなくてっ! わっ、私、考え事をしていてそのっ……」
 
 あわてて頭を下げるが、返答はない。
 頭上に?マークを浮かべたクロエがそっと下げた頭を上げてみる。
 老婆も女の子もこちらを見向きもしなかった。
 女の子は熱心に老婆の糸車を見ており、老婆は糸車で糸を……
 引いてはいなかった。
 止まっていた。
 穏やかな表情を浮かべたまま。
 
クロエ「……人……形?」
 
 来訪者の存在などないかのように展開される場面は、時間が止まっていた。
 音を立てないように忍び足で近寄り、まず女の子に触れてみる。
 ……硬い。
 蝋人形だ。
 
クロエ「……嘘」
 
 生きているようにしか見えないが、老婆も蝋でできたただの人形である。
 
クロエ「瞬間が……」
 
 瞬間が切り取られて永遠を与えられている空間。
 華やかな城の敷地内にありながら忘れ去られた寂しい塔の最上階に、時間から取り残された二人がいる。
 生きて時間の支配を受けている自分が酷く不自然に思えた。
 
クロエ「ここだけ不思議の国みたい……」
 
 老婆に近づき、糸車を回してみる。
 きぃ、きぃ。
 億劫に軋んだ音。
 クロエの家にはなかったけれど、どこか懐かしい糸車。
 しばらく現実を忘れて音を愉しんでいると先程までの激情の波が少しずつ収まってくるのを感じた。
 
クロエ「……女王様に……酷いこと言っちゃったわね……私」
 
 同時に生母に対する罪意識も心の片隅に沸き起こった。
 クロエという少女は、自分が傷ついても相手を気遣うことの出来る、生来の性格の持ち主である。
 相手とて、自分を想ってのことだ。
 幼い自分を手放すのにどれだけ辛かったか知れない。
 なのに自分は自分のことでいっぱいになって感情をぶつけてしまった。
 大変申し訳なかったと後悔が押し寄せる。
 
クロエ「そうね。ちゃんと……お話しよう。逃げないで。それから考えても遅くはないわ」
 
 耳に痛い事実をはねつけるのは簡単だ。
 耳をふさぐのは楽だ。
 だけどそれでは解決にならない。
 
クロエ「どう思いますか、おばあさん?」
 
 口数は少ないけれど優しく見守っている……そんな印象の老婆に話しかけてみる。
 もちろん、返事など返らない。
 ただの人形であることを承知で呼びかけたのだから、これで満足だ。
 この老婆は世界中を見ることの出来る万能な魔女だとクロエは思った。
 ここで時に支配されずに人間の苦しみや喜び。
 全てを見て柔らかく微笑んでいてくれるのだ。
 そして横から覗き込む少女はきっと誰のことも大好きで、全てのことに興味を持つ、心豊かな子供。
 愛されるために生まれてきたただの子供なのである。
 世界中を見て知ることが出来るけれど、自身は孤独である老婆に屈託のない愛を与える純真無垢な少女。
 勝手に性格付けをしてクロエはにこりと微笑んだ。
 
クロエ「これを作った人はどんな人かしら? きっと心の美しい人に違いないわ」
声「それはどうかな」
クロエ「キャーッ!?」
 
 独りつぶやくと予想外の返事が返ってきて、今度こそ、クロエは悲鳴を上げて縮こまってしまった。
 勢い良く振り向くと階段の下から登ってくる足音。
 やがて姿を現したのは、ガーネット=グラディウス。
 兄、その人であった。
 
クロエ「おっ、お兄……」
 
 言いかけて、もう兄ではなかったのだと思い出して言葉を止める。
 
ガーネット「どこに逃げ込んだかと思ったら……バカだな、相変わらず」
クロエ「…………」
 
 いつもだったら反論するところだが、今の彼女には当たり前のやり取りが出来ない。
どう兄であった人に対峙していいのか、突然すぎてまだ答えが見つからないのだ。
 そんな彼女の心を見透かしてか、ガーネットは収まりの悪い金の髪をくしゃくしゃとかき混ぜて、妹に歩み寄った。
 
ガーネット「あー……だから。言ったろ? どういう状況になっても、お前はお前なんだって」
クロエ「……だけど……」
ガーネット「面倒臭い奴だなぁ」
クロエ「だけど、お兄ちゃんやお父さんが跪くからっ……! 私ッ、捨てられたみたいで……ッ! どうしていいか、わかんなくなっちゃったの……」
 
 塔と人形に興味を奪われて止まっていた涙が再び青い両眼を濡らす。
 彼女にとって、父と兄が自分に跪くのが一番辛かったのである。
 線を引かれてしまった。
 もうココから先は近づいてはいけないと宣言されたようで。
 
ガーネット「どうして姫になることが捨てられるってことなんだ」
クロエ「だって……私は姫になんてなれなくていい。ううん。なりたくなんかなかった。ただのクロエで良かった。ただのクロエが良かったの……」
ガーネット「姫でも何でも、クロエはクロエだ。ただ立場が変わっただけ。何のことはない、オプションがついたとでも思っておけばいいだろ? 公共の場では俺たちは膝を折らなきゃいけないけど、普段はお前のコトなんかおヒメサマだ何て今更、思わないしな」
クロエ「…………」
 
 ガーネットは物見台の窓に歩み寄って、縁にひじを預けた。
 
ガーネット「俺も最近になって聞かされて驚いたことだが……」
クロエ「え?」
ガーネット「現女王と俺たちのオヤジは兄妹だ」
クロエ「!?」
 
 クロエが大きく目を丸める。
 
ガーネット「と、言っても。やはり血の繋がらない兄妹」
クロエ「…………」
ガーネット「お前と全く同じルートで人生を歩んできたワケだ」
クロエ「まさか……」
 
 するとまさか、あの女王も自分が王族であることを知らずに育ち、ある日突然の運命を受け入れたと言うことなのだろうか。
 クロエの表情を見て察しをつけた兄が頷く。
 
ガーネット「だからお前も耐えろってことだろう。でも俺は……」
クロエ「……なに?」
ガーネット「この話、蹴ってもいいと思う」
クロエ「えっ!? 何言ってるの、お兄ちゃん!?」
 
 思いがけない言葉にクロエの方が仰天してしまった。
 
ガーネット「確かにお前はこの先も狙われ続けるだろうし、迷惑も周りにかけるだろう。そうでなくとも迷惑が服を着て歩いている生物だしな」
クロエ「うっ……!」
ガーネット「だけど何も言いなりになることもない。その代わり、意地を通すのなら自分で自分の身を守ってみせろ。そしてお前の力でシレネの呪いをねじ伏せればいい」
クロエ「でも私にそんな力……」
ガーネット「やる前からできないなんて言葉、聞きたくない。運命に従うか、それが嫌なら抗うしかない。抗うだけの力がないというのであれば、受け入れるしかない。お前の置かれた立場は、隠れていれば済むほど甘くはないぞ、クロエ」
クロエ「…………」
 
 厳しい言葉に黙ってうつむく。
 
ガーネット「けどクロエ」
クロエ「うん……」
ガーネット「お前に独りで戦えなんて言わない。そのときは俺もお前と戦おう」
クロエ「…………お兄ちゃん……」
 
 もう一度、涙をぬぐう。
 人前で見せたことのない泣き顔が急に気恥ずかしくなったのだ。
 それから兄の気持ちが嬉しくて、やっぱりもう一度、泣いてしまった。
 
クロエ「お兄ちゃん……私、ちゃんと責任は全うするわ」
 
 逃げていいと道を譲られて、クロエは迷った。
 けれどそれが逆に背中を押してくれた気がする。
 言葉通り、この人は自分を支え続けてくれるだろう。
 姫を守るナイトではなく、妹を守る兄として。
 ならば自分のやることは決まっている。
 これまで育ててくれた父と兄の恩に報いるのだ。
 迷いが去ったわけではないが、今、自分に出来ることはそれ以外にないと思えた。
 
ガーネット「……そうか」
クロエ「でもそれは言いなりになるんじゃなくて、私の意志で」
ガーネット「ああ」
クロエ「だけど条件もあるの」
ガーネット「それは女王に言うんだな」
クロエ「うん……ぜひとも聞いてもらわないと」
 
 今度こそ濡れた頬をふき取って、クロエは気丈に微笑んだ。
 階段を降り始めた兄の背を追って小部屋を出る。
一度振り返って老婆と娘に挨拶。
 
クロエ「……休ませてくれてありがとう」
 
 下で「何をしている」と兄が急かす声に従い、クロエは部屋を後にした

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