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ゼロのノート

ト書きでカンタン☆ 気楽に気軽に創作物語。

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妖絵巻番外編 1番の価値。:10

 アタシの問いかけを代弁するように男が言った。

「それよりこんなに遅くなって、さすがにマズくね?」
「いいよーぉ。どーせ何も言わないんだから」

 声が。
 足音が近づいてくる。
 心臓が、脈打つ。
 気温のせいじゃなくて、血の気が引いて足が震えた。

「来年、結婚……どうするんだ?」
「うーん。」

 男の人の問いかけに、女の人は迷ったフリをした。
 フリをしたって……アタシがそう感じただけだけど。
 でも、きっとこの人、大して迷ってなんかいない。
 だって声がどこか楽しそう。
 アタシは柱の影からそっと窺った。
 少し距離があって薄暗いから、ハッキリとは確認できなかったけど、もうアタシにはあの人にしか見えなかった。
 ……先生の、婚約者。

▽つづきはこちら


「……ね? どうしようね? どうする? 岡崎?」

 女性は一歩踏み出して、男性との距離を縮めた。
 膝を軽く折って、相手の顔を下から覗き込む。
 人を試すような、イタズラな問いかけ。
 芝居じみた、でも可愛いコがやれば許されちゃう演出。

「どうするったって……俺に聞くなよ」

 やや動揺したように男の人が答えると、女性はくるりと背中を向けた。

「もしー……岡崎がヤメロよって止めてくれるなら…………私、考えてもいっかなー? ……とか」

 そして顔だけで振り向く。
 表情は見えないけど、きっと微笑んでいるに違いない。

「……マジで?」

 相手の人、きっと真に受けたんだろうな。アタシは思った。
 彼女はとびきりの美女なんかじゃない。
 平和そうでちょっと可愛い顔をした、とそのくらいのレベル。
 それでもこんな三文芝居が魅惑的に映るのは、自信で満ち溢れているからだろうか。
 実際よりも高く自分を売り込むことに長けているんだ、あの人は。

「……でも……それで……和はどうすんの?」

 ……あ。
 言った。
 言っちゃった。
 今の一言で濃厚な疑惑は確信に変わった。
 ……和。
 やっぱり。
 彼女で彼で、先生だ。
 だって和なんて名前、そうそうないもん。
 それも女の子ならわかるけど、男に和って普通、あまりつけないもん。

「あっ、ごめん。和からだ」

 携帯電話の着信メロディーが夢のような会話に突然割り込んできた。
現実に返った女がカバンから電話を取りだす。

「ごめーん。遅くなっちゃってぇー。あ、いつものことか。そうだよね。……えー? なんだよーう。少しは心配しなさいよ。呑気に構えてると浮気しちゃうんだから。……え? 一人だよ。当たり前じゃん。これから電車に乗るから、駅まで迎えに来て? うん。ごはん? いいよ、食べたからー……んー。ヨロシクね~。ありがと、愛してるわ、ダーリンッ♪ ……ナニ!? キモイ? キモイとか言っちゃうー? ありえないしぃー! あ、電車来た。あとで。はーい。……はーい。じゃね」

 目まぐるしく口調を変えながら、二流の女優は電話を再びカバンに放り込んだ。
 あまりの身代わりの早さにあっけにとられたアタシは、やっときた電車に乗り損ねてしまった。
 このまま尾行してやるつもりだったのに。

「アイツラは人を裏切るような人間じゃないから」って、どいつらよ?

誰のこと、先生?! ねぇ、先生!?
 恋人が……ううん。婚約者が、他の男と会ってるのに、先生は疑いもしてなくて。
 会っていた男も先生の友達で。
 まるで中学生のときのアタシの再現だ。
 違うのは、アタシの立ち位置に先生がいるってコト。
 アタシの役を追った先生が、悲しい喜劇の舞台に立っている。
 アタシと違って、勉強できて、運動できて、主将で生徒会なのに!
 先生に道化の役なんか似合わないよ。
 18年間生きてきて、これほど悔しい思いをしたことはない。
 美羽ちゃんに奥田君を盗られたときなんか比較にならないくらいの憤りを感じてる。
 アタシの先生があんな女に軽く扱われていることが、我慢ならない。
 アタシは怒りに任せて、携帯のボタンを押した。
 でも、先生の番号にはつながらなかった。
 今、あの女を迎えに行くために車を運転中だからだ。
 でもしつこくかけてやる。
 あの女の正体、バラしてやる!
 性悪女め、覚悟しろ。
 最終電車に乗ってもかけて、家に着くまでの道のりもずっとずっとかけ続けた。
 もう午前を廻っているのに相手の迷惑を顧みず、ムキになってかけ続けた。
 やがて、ようやく繋がった頃にはたぶん、隣にはあの女もいたと思う。
 でも構わない。
 アタシは敗北を認めて手放したハズの恋を、その日のうちに再びすくい直した。

「もしもし?」

 先生の不審そうな声がする。

「もしもし、どうした? 下野だろ?」

 あの女はやっぱり嘘つきでしたと言ってやるつもりで意気込んでいたのに、先生の声が聞こえたら急に喉が詰まった。

「おい……? 何かあったのか? どうした?」

 知らないでいた方が幸せなのかな。
 でも後でどうせフラレるんでしょ?
 先生、どうして気づかないの?
 どうしてそんなに信じちゃうの?
 バカじゃないの?
 言いたいことは沢山あったのに、実際に口から出たのは嗚咽だった。
 悔しくて悲しくて、急に目じりが熱くなって。
 怒りが沸点に達したら、逆に涙が出てきてしまった。

「うっ……うああ~。ぜんぜい~! 違うの、違うのぉ~っ」
「……!? おい? どした? チガウ? なんだ?」

 先生のうろたえた声がする。

「泣いてちゃわかんないだろ? どうした、何があった?」

 温かいよ。
 アタシを心配してくれているよ。
 でもこの優しさを向けてもらえるのは今だけで、アタシがずっと持っていていいものじゃない。
 所有権は今もあの女が握ってる。

「和。放っておきなさいよ。酔っ払っているんでしょ。こんな時間にかけてくること自体、非常識」

 後ろで嫌な女の声が聞こえて、ハッとなった。
 やっぱり、もうたどり着いていたんだ。

「まだ未成年だ。酔っ払って電話かけてくることはないだろ。アンタじゃあるまいし」

 電話を遠ざけて、先生は婚約者に応える。

「……どーだか。それとも……うふふっ。キミの気を引きたい演出だったりしてー♪」
「まだ言ってんのか。しつこいオバンは嫌われるぞ」
「わー。オバンゆーな、イジワルー。つねってやる、えいっ!」
「イテ、ヤメロ、今それどころじゃないんだからっ」

 先生は放っておけないだろうと小声で女に答えるとまたアタシに向かって言った。

「今どこだ? まさか外じゃないだろうな?」

 でも興奮して泣き出したアタシはすぐに答えられずにいた。
 さっきまで別の男と会っていたくせに、早くも手のひらを返しているあの女に対する憤りと、そんな女を信じる先生への憤りと。
 どう言ったら、二人を引き離して間にアタシが入れるのか。
 どうしたら、先生を傷つけずにそこから救い出してあげられるのか。
 アタシの言葉はどうしてこうも力がないのか。
 頭の中がいっぱいで、上手く形に出来ない。
 先生が可哀想。
 先生のばか。
 ただ、涙ばかりが目から溢れては落ちていく。
 この流れるだけの涙に語る力があったなら。

「和。いいの? 私、先に帰っちゃうゾ☆」
「ちょい待てって。下野が何か電話口でごしょごしょしてんだよ」
「んもー。私とあのコ、どっちとーるのー?」

 しびれを切らせた態度で婚約者が明るく甘えた声でダダをこね始める。

「どっち取るって……そういう場面かっつーの。相手がどんだけ年下だと思ってんだよ? お前、こういうときにからかうのよせって。相変わらず空気読めない女だなー。」

 電話向こうでおちゃらけたあの女と先生の軽い口論が聞こえた。

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